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元祖は明治時代!キャバクラの歴史を勉強しよう
キャバクラの始まりは明治時代までさかのぼります。
そんなキャバクラの歴史を知らないで働いているキャバ嬢は多いです。そんな時は、教えてあげましょう。
博識なところも見せられて「すごーい!」と褒めてもらえること必至!キャバクラでモテたい男性は必見です。
目次
キャバクラの歴史を語る前に、まずは「キャバクラ」という名前の由来に触れておきたいと思います。
キャバクラは、「キャバレー」と「クラブ」を組み合わせた造語です。
名前からも想像できるように、キャバクラは双方の良いところを取り入れています。
それでは、キャバレーとキャバクラの違いを簡単に説明しましょう。
キャバレーは、お店の中にステージが用意されているのが特徴です。
キャバレーで働く女性たちは、そのステージでショーを披露します。
お客様は、そのステージを楽しみながら飲食を楽しんでいたのです。
キャバレーが誕生した当初は、女性達はショーを見せるに留まっていましたが、次第にお客様の接客も担当するようになりました。
後述するクラブとは違い、庶民的の雰囲気がアピールポイントとなっています。
クラブは、「社交」「高級」にこだわった運営をされており、一定レベル以上の富裕層向けとなっています。
クラブは、キャバレーのようにショーを見せる場所ではなく、働いている女性は落ち着いた接客に専念するのが特徴です。
クラブには「ママ」の存在が欠かせません。ママは、美貌と品格のあるお店の看板です。
キャバレーにはない上品さで、お店の切り盛りをしています。
キャバクラのスタートは諸説ありますが、最も有効な説は明治時代です。
1900年代初頭に銀座にあったカフェがキャバクラの始まりだと言われています。
その時に働いていたのは、「女給仕」と呼ばれる女性たちです。彼女たちは、現代におけるウエイトレスにあたります。
当初の女給仕は、コーヒーや軽食をテーブルに運ぶのが仕事でした。
しかし、次第に運ぶメニューがアルコールに変わっていきます。それに伴い、仕事内容も変化。
女給仕がお客様と会話を交わすスタイルに変貌を遂げていくのです。
当時、女給仕の稼ぎはほとんどチップでした。
そのため、一部の女給仕はたくさんチップを貰おうとして、性的なサービスも織り交ぜるようになります。
その後、このようなカフェの需要は急増。
全国でオープンされるようになり、昭和の初頭には、女給仕の数が6万人に増えたと言われています。
そんな流行りも第二次世界大戦と同時に一旦収束。「戦時中には贅沢すぎる」とされたのが理由です。
しかし、第二次世界大戦が終わると、ブームが再熱。各地で賑わうようになるのです。
1930年になると、今までカフェとして運営していたお店がショーを提供するようになります。
キャバレーの誕生です。カフェと同じく、キャバレーも第二次世界大戦の間は、一度影を潜めました。
しかし、終戦後に再熱。日本に在中していたアメリカ人からの需要が大きかったと言われています。
その後、経済成長が急激に進んで、繁華街が急増。
キャバレーを接待で利用するケースも増えて、ますますシェアを拡大していたのです。
キャバレーがシェアを広げる一方で、1950年代初頭に、ショーを見せないお店がオープンします。
クラブの誕生です。クラブは、キャバレーよりも品格のある女性が落ち着いた接客をするのが特徴。
赤坂や銀座で続々とオープンして、富裕層を中心に人気が爆発。
脱キャバレーを意識する上級志向のお客様が増えたこともあり、シェアを拡大していったのです。
1976年、西浅草に日本におけるキャバクラの元祖『CLUB Royal』(クラブロイヤル)が誕生。
クラブロイヤルは、女性たちがステージにてダンスを踊るショータイムのあるお店として注目を集めます。
キャバクラの語源の一部として先述した「キャバレー」の良さをしっかりと残しつつ、接客面では「クラブ」の質の高さもキープした、双方の魅力を併せ持つ存在として幅広い客層から支持されました。
このクラブロイヤルのオープンをきっかけに、1980年代にかけてキャバクラブームは浅草から全国へと広がっていったのです。
国内初のキャバクラ『CLUB Royal』は現在でも営業中。
46年の歴史と実績により多くの信頼を集め、今でも浅草の人気店としてにぎわっています。
【CLUB Royal】(クラブロイヤル)
東京都台東区西浅草3-1-11
YS-2ビル3F
運営会社HP
PLAZA GROUP OFFICIAL WEBSITE
キャバクラが人気を博した要因は、「リーズナブル」に他なりません。
一部で性的なサービスもあったキャバレーや数十万円の支払いが当たり前なクラブとは違い、キャバクラは庶民的な価格帯だったのです。
そして、同伴やアフターのような店外で女の子と遊べるシステムもヒットの要因でした。
疑似恋愛は、キャバレーやクラブにはない楽しみだったため、当時の男性たちには新鮮だったのです。
キャバクラは、あっという間に日本中でオープンされて、全国区となりました。
その人気を確実なものと証明したのが、1985年には『キャバクラ』が流行語大賞を獲得して、社会現象になったのです。
キャバクラが全国に広がるにつれて、オリジナリティを打ち出すお店も増えました。
例えば、
などが挙げられます。
お客様が趣味趣向に合ったお店を選べるようになり、満足度が高まる時代になったのです。
【一般的なナイトワークの種類と仕事内容ってなんなの?】
2000年になると、キャバクラで働いている女の子を「キャバ嬢」と呼ぶようになります。
ずっと昔から呼ばれているのかと思いきや、意外と歴史が浅くて驚きますね。
キャバ嬢というポップな響きはメディアで取り上げられるようになり、市民権を得る呼び名となったのです。
様々なメディアで、カリスマキャバ嬢が取り上げられるようになり、タレント化し始めました。
中でも大きなブームとなったのは、雑誌「小悪魔Ageha」です。
カリスマキャバ嬢が読者モデルとして多数登場して、雑誌は大ヒット。
雑誌の中で彼女たちが身につける洋服やアクセサリー、コスメは爆発的売上を記録します。
彼女たちは、ますますメディアに露出するようになり、本まで出版。こちらも大ヒットに!
中には、コスメやアクセサリーをプロデュースする社長になるキャバ嬢も誕生して、マルチな活躍を見せるようになります。
このような背景を受けて、キャバ嬢に憧れる一般女性が急増。全国各地で、キャバクラの門を叩く女性が増えたのです。
テレビドラマでキャバクラを取り扱う作品が増えた背景もあり、現在、市民権を得るまでに成長したキャバクラ。
朝キャバ、昼キャバ、派遣キャバクラという新しいスタイルも誕生しており、ますますユニークさを増しています。
このように盛り上がりを見せているキャバクラ業界ですが、ジャンルが多様化したことで飽和感も否めません。
出展数が増えすぎて、無許可営業やぼったくり店の存在も懸念されています。
とはいえ、キャバクラが日本のGDPと男性たちの心を満たしているのは事実です。
急速な成長は難しいとしても、急速に衰退していくことはないでしょう。
キャバクラ業界がこれからどういう歴史を作っていくのか?目が離せません!
ナイトワーク派遣のよくある質問
Q.キャバクラ派遣ってなんですか?A.キャバクラ派遣はシフトがなく、空いた時間に働ける自由度の高いお仕事です。
主な仕事は在籍している女の子のサポート、お手伝いとなります。売り上げノルマはないので、連絡先交換や営業も必要なく自分のペースで働けます。— キャバクラ派遣MORE(モア) (@morehaken) October 28, 2019
キャバクラの始まりが明治時代だったというのは驚きです。意外と深い歴史があるのがわかりましたね。
このような知識をお店で披露したら、キャバ嬢から博識と思われること間違いなし!
もしかしたら、憧れのあの子も口説けるかも?キャバクラ通いしている男性陣は、マストで頭に入れておいてください!
2020年02月07日
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2020年02月07日